夢をみるひと

□星の首飾り【4】
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▽▽▽▽▽▽▽



ユタカさんがキヨちゃんを訪ねてやってきたのは、あの夜からしばらく経った日のことだった。


彼らがどんな数日間を過ごしたのか、私は知らない。引継ぎやらで慌ただしく仕事をしていたから、二人とは挨拶程度に顔を合わせたくらい。
イギリスへ取材に出掛ける空港で、ユタカさんを見かけて声を掛けたのは偶然だった。搭乗口の間際で、空港のスタッフと何やら揉めている。

「ユタカさーん!偶然ですねえ、これから帰国ですか?」
「わっ!」
「どうかしました?」

な、なんでもないです平気ですっ!とそっぽを向きながら突っぱねるものの、平気そうには見えなかった。チケットがどうの値段がどうのとスタッフに捲し立てている。

「えっ、チケット失くしちゃった?」
「いや、その…あるんだけど、これ、違くて…」
「ん?えーと、合ってますよ、この便で」
「でも、席が!なんか…っ、なんか超すごくてっ!」

慌てる彼をなんとか宥めて話を聞いてみると、いったん乗ったものの、指定された席があまりに豪華な個室だったので、驚いて飛び出してきてしまったらしい。

「だっておれ、ちゃんとエコノミー取ったのに!さっきキヨが、勝手にチケット変えたみたいで…」
「うんうん、でも大丈夫ですよ。行き先も時刻も、たしかにこの便です」
「でも…無理だよ、あんなのおれ、絶対払えない…」
「ふふ。これはきっと、イシカワさんが好意で変えてくれたんですね」

料金の支払いは済んでいるし心配ないですよ、とスタッフに確認しつつ伝えると、ようやく落ち着いたようだ。ぎゅっと握り締めていた両手のこぶしをおずおずと下げ、コクリと小さく頷いてくれた。

「じゃあ、気を付けて」
「あ、あのっ…」
「はい?」
「……ありがとうございました。おれ、てんぱっちゃって……スペイン語もわかんないし、助かりました」

照れくさそうに、ちょっとうつむき加減でお礼を口にしたユタカさんに、思わず頬が緩んでしまった。ちょっとした仕草まで、いちいち可愛らしい人だ。きっと、となりにいるだけで、キヨちゃんをほんわか和ませてしまうんだろうな。
いいえとんでもないですよ、と答えて歩き出した私の背中越しに、ユタカさんが突然言った。

「……キヨと千鶴さんって、ほんとに付き合ってないんですか」

不安げに聞かれた意味がまったく理解できなくて、返事に詰まる。とりあえず首を横に振った私に、彼はなおも言った。

「でも…、キヨは千鶴さんのこと………好きなんだと思う。あいつは全然自覚してないんだろうけど…」
「………」
「…たぶんもう、おれのことなんかよりもずっと、大切になったんだ」
「………どうして、そんなこと…」
「わかりますよ。千鶴さんと一緒にいる時の顔見てたら…すぐわかる」

わからないよ、ぜんぜん。
いったいどうして、そんなこと言うの?よりによって、あなたが。






 * * *






「それで?何をそんなに、ちぃさんはへこんでるの?」
「違いますよ、って、言ってあげなかったの。私、すっごいいじわるしちゃったなあと思って…」

気にしすぎでしょー、とグラスを揺らしてアユちゃんは笑った。
キヨちゃんからの電話があった日の夜、彼女から誘いを受けて食事に出掛けた。仕事は結局手につかないまま。あまり進んでいないが、気の置けない友達との会話はこれ以上ない気分転換だ。
アトリエでのこと、週刊誌が発売された日のこと、会社を辞めると決めたこと。それから、ユタカさんのこと。ここ最近の出来事をかいつまんで話したつもりが、あの奇跡のようにかがやいていた花畑のこと以外、聞き上手な彼女にほとんど話してしまっていた。

ユタカさんにはたった一言、事実を伝えて否定すればいいだけのことだった。しかし、どういうわけか口がうまく動いてくれなかったのだ。それが気がかりで、キヨちゃんともろくに顔を合わせないまま帰国してきたのだった。

「…ユタカくんの言うことも、間違ってないと思うけどね…」
「えっ?」
「ううん。まあ要するに、イラついたんだ?変な勘違いしてるユタカくんに」
「うーん…っていうより、なんでわかんないんだろうって思ったらもう、悲しくなっちゃって…」

一緒にいる時の顔を見ていたら、キヨちゃんの気持ちはすぐわかる。
ユタカさんはそう言った。それには私も、まったく同感だ。
しかし、ユタカさんはいったい何を見ていたというのだろう。名前を呼ぶその声に、向けられているあのまなざしに、本当に何ひとつ感じなかったというのだろうか。

「…キヨちゃんって、アユちゃんのことが好きなんだと最初思ってた」
「えぇ?ありえなーい。なんなの急に」
「なんとなくだけどね、地元に恋人か、元恋人かがいるんだろうなってずっと勝手に思ってたんだ。それで、前にアユちゃんがスペインまで遊びに来たとき、ほんっとうれしそうにしてたから…」
「あはは、無い無い!んーでも、まあそうだね、イシカワって私のこと、大好きだよね」
「でしょー?」

思わず身を乗り出した私に、彼女もうんうんと深く頷く。

「会いたいとか好きだなんて、イシカワは言わないよ。でも、どう思ってるかなんて、行動見てたらすぐわかっちゃうよね」
「うんうん、ほんとそうだよねえ。言葉でうまく取り繕うとか、できないじゃない?だから余計に、まっすぐ伝わるよね」
「遊びに行くときいつもファーストクラスとかさらっと取っててくれるし、いろいろ連れてってくれるしねー。めちゃくちゃ忙しいくせに、段取りとかマメだし超おもてなし態勢で、マジうける」
「帰った後、すっごくさみしそうにしてたよ」
「あっはっは!やっぱりー?帰りに空港まで送ってくれたんだけどさぁ、持ってくれてた私のバッグ、なかなか渡そうとしないんだよ。ほんとに帰るのか、次はいつ来るんだ、とか言って」
「ふふふ、駄々っ子みたい」
「次は冬休みに来るよ、って言ったら拗ねちゃってさぁ。なんでだ、秋休みがあるだろって。そんなの無いっつーの!」

しょんぼりした表情、なんとなく想像できちゃうな。ひとしきり笑い合ったあと、アユちゃんがぽつりと呟いた。

「…帰らないで、ってひとこと、言えばいいのに。どうしてもそれが言えないんだよね、あいつは」

その不器用さがもどかしくて、呆れたり抱きしめてあげたくなったりしながら、アユちゃんやオダシマくんはこれからも、彼のそばにいるんだろうな。私もきっと、そうするだろう。やっぱりどうしても、放っておけないし。

ユタカさんは、どうなんだろう。
なんて、他人がお節介を焼くようなことではないのだけれど。
キヨちゃんの気持ちをありのままに信じられたらいいな。奇跡のような幸せだって案外すぐそこにあること、早く気づいたらいいのに。

ずっと一緒にいることは、叶わないかもしれない。
永遠を心から願っていても、未来は誰にもわからない。
だからこそ、私たちは信じるのだ。今この瞬間、となりにいる人を。手を伸ばせばすぐそこにある、声や仕草や体温を。

いつか遠く離れても、星のようにきらきらひかる花々を、私はずっと忘れない。








END.






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